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南 寛「フロートガラス作品展」

吹きガラス作品展
西条市 南寛 みなみひろし フロートガラス作品展 2008年09月09日撮影
展示場所 ミラーズウサ Mirrors USA

南 寛 フロートガラス作品展が8月21日から9月9日までの間、西条市ミラーズウサでありました。
最終日にその作品の一部を撮影させていただきました。写真では技術力の高い作品には見えないかもしれませんが、すべてが芸術的で見ごたえのある作品でした。特にメッシュの模様が高級感を表現している感じを受けました。

吹きガラス作品展
作品:円形メッシュトレー

吹きガラス作品展
作品:フリットボウル

吹きガラス作品展
作品:四角メッシュトレー

吹きガラス作品展
作品:フリットボウル

吹きガラス作品展
西条市 南寛 みなみひろし フロートガラス作品展 2008年09月09日撮影
展示場所 ミラーズウサ Mirrors Usa
ガラスの深い色合いと幾何学模様のライン、凹凸の織りなすデザインの世界に引き込まれるような作品でした。ただし、写真と作品のタイトルが一致しないかもしれませんので、ご了承ください。

吹きガラス作品展
作品:フリットvase

吹きガラス作品展
作品:グラスウォール

吹きガラス作品展

吹きガラス作品展
作品:フリットボウル

南 寛 フロートガラス作品展
西条市 南 寛 みなみひろし フロートガラス作品展 2008年09月09日撮影
展示場所 ミラーズウサ Mirrors Usa
作品:ステンドグラス教室用 生徒さん向けの完成作品

以下はアートな作品の一部を紹介させていただきました。ありがとうございました。また素晴らしい作品に出会えることを願っています。
南 寛 フロートガラス作品展

南 寛 フロートガラス作品展

南 寛 フロートガラス作品展

南 寛 フロートガラス作品展

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テーマ : アートな写真
ジャンル : 写真

だんじり彫刻展

小松だんじり彫刻 2008年9月18日撮影
西条市小松町新屋敷 小松温芳(おんぽう)図書館 企画展 祭りのデザイン・だんじりの意匠

小松温芳(おんぽう)図書館で企画展「祭りのデザイン・だんじりの意匠」が開催されています。
開催日 平成20年9月28日(日)まで
時間 9:30~17:30 (月曜、月末31日休館)
会場 温芳図書館
住所 西条市小松町新屋敷甲3007-1  
TEL 0898-72-5634
1屋台彫刻の現物と、彫刻師、棟梁宅に伝わる下絵、そのもとになった江戸時代の武者絵本「三国志」「楠公記」「甲越軍記」など。
2小松に縁のある屋台(旧・中町東組、旧・西町東組、北川、三島など)展示を中心に、絵師首藤豊慶、彫刻師近藤泰山のコーナー。
3現代の屋台に流行している「巻龍彫刻」や「置き彫り」、「二重(三重)彫り」の明治、大正期の古例も」展示されています。

小松だんじり彫刻 2008年9月18日撮影
★小松藩 絵師 首藤豊慶 
狩野派の絵師で宮大工とも伝わる。天保の中頃の生まれで明治32年65歳の銘文あり。「小松藩もけい図」あり。だんじり絵なども手がけた。以上は展示している説明文から引用(原文のまま)

小松だんじり彫刻 2008年9月18日撮影
西条市三津屋祭り絵蔵
川中島一騎打ちの図 明治32年 65歳の作 首藤豊慶
武田信玄・上杉謙信の川中島一騎打ちの作品です。
首藤豊慶 の図を元に描かれた下絵です。

★メモ 武田信玄と上杉謙信。戦国軍事史上に燦然と輝く二人の巨人。
この両者が真っ向から激突したのが、川中島を挟んでの五度に渡る対決であった。
天文十年、甲斐一国の統一に成功した武田晴信(後の武田信玄)は、満を持して隣接する大国・信濃への侵攻を開始した。
迎え討つは諏訪頼重、村上義清、小笠原長時など信濃の諸侯。
信濃の諸侯は強く、晴信率いる武田勢は苦戦を強いられ、時には戸石崩れなどの敗北を喫した。
しかし、信濃の諸侯は郡ごとに分立しており、あるものは調略され、あるものは攻め滅ぼされ、次第に切り崩されていき、敗れた信濃の豪族達は越後に落ち延びていった。
こうして武田勢の信濃計略が着々と進む中、敗走した信濃の豪族達の懇願を受けて、越後の雄、長尾景虎がついに出陣する。
信濃の覇権をかけて、川中島で両雄が真っ正面から激突する。
戦国史上最大の対決となった、竜虎の激突を描く。( ネットからの記事を抽出・コピーしています。)

小松だんじり彫刻 2008年9月18日撮影
「武田信玄」下絵を基にして、彫刻師が制作していったのでしょう。

小松だんじり彫刻 2008年9月18日撮影
このようなだんじりの歴史を学ぶことにより、世代に語り継がれていくことが大切だと実感しました。

だんじりの下絵と彫刻2008年9月20日撮影
西条市仲町小川
源平合戦図より 平敦盛と熊谷直美(くまがい・なおざね)の図
下絵と彫刻と共に近藤泰山で、大正14年頃の製作といわれる。(展示説明原文のまま)
メモ:平敦盛は、一ノ谷合戦で、熊谷直実に討たれる。時に16歳(17歳とも)。

幼少時
武蔵国大里郡熊谷郷(現在の埼玉県熊谷市)の出身。幼名を弓矢丸という。その名のとおり弓の名手である。幼い時に父を失い、母方の伯父の久下直光に養われた。保元元年(1156年)7月の保元の乱で源義朝指揮下で戦い、平治元年(1159年)12月の平治の乱で源義平の指揮下で働く。その後、久下直光の代理人として京都に上った直実は一人前の武士として扱われないことに不満を持ち、自立を決意し直光の元を去って平知盛に仕える。


[編集] 源平の戦い
源頼朝挙兵の直前、大庭景親に従って東国に下り、治承4年(1180年)の石橋山の戦いまでは平家側に属していたが、以後、頼朝に臣従して御家人の一人となり、常陸の佐竹氏征伐で大功を立て、熊谷郷の支配権を安堵される。

寿永3年(1184年)2月の一ノ谷の戦いに参加。この戦いでは正面から攻める源範頼の主力部隊ではなく、名将の源義経の奇襲部隊に所属。鵯越を逆落としに下り、息子直家と郎党一人の三人組で平家の陣に一番乗りで突入する大功を挙げた。しかし平家の武者に囲まれ、先陣を争った同僚の平山季重ともども討死しかけている。

『平家物語』によれば、この戦いで良き敵を探し求めていた次郎直実は、波打ちぎわを逃げようとした、平家の貴公子平敦盛を呼び止め、一騎打ちをする。直実が敦盛をむんずと取っ組んで、馬から落とし、首を取ろうとすると、ちょうど自分の子の小次郎[5]ぐらいの年の若武者だった。直実が「私は熊谷出身の次郎直実だ、あなたさまはどなたかな」と言うと、敦盛は「名乗ることはない、首実検すれば分かることだ」とけなげに答えた。これを聞いて直実は、一瞬敦盛を逃がそうとしたが、背後に味方の手勢が迫る中、「同じことなら直実の手におかけ申して、後世のためのお供養をいたしましょう」といって、泣く泣くその首を切ったという話は有名である。

この後首実検して平敦盛と判明、やんごとない貴公子[6]であったと分かった。このことがあってから、直実の仏門に帰依する思いは、いっそう強くなったという。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用しています。

だんじりの下絵と彫刻2008年9月20日撮影

だんじりの下絵と彫刻2008年9月20日撮影
絵本です。

だんじりの下絵と彫刻2008年9月20日撮影

だんじりの下絵と彫刻2008年9月20日撮影
下絵と変わらぬ素晴らしい出来栄えの彫刻作品に、関心するばかりです。
★ガラスケース越しからの撮影で写真が悪くなりました。



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ジャンル : 写真

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